ヴァティカン宮殿「コンスタンティヌスの間」に描かれた教皇像
―教皇クレメンス7世の肖像を中心に―

深田 麻里亜



 ヴァティカン宮殿3階に位置する「コンスタンティヌスの間」は、壁面に古代末期の皇帝コンスタンティヌス1世の説話場面が描かれていることからその名で呼ばれており、枢機卿会議や宴会等に利用された広間と考えられている。壁画装飾は1520〜1524年にかけて、ラファエッロ工房出身の芸術家たちによって実施された。初期キリスト教の擁護者として知られる皇帝を描いた各主題については、16世紀前半当時の教皇庁が直面していた歴史的状況、とりわけ世俗的・宗教的諸問題に対する理念の表明を読み解こうとする試みが先行研究において行われてきた。つまり、神聖ローマ帝国やフランスとの外交関係、および北方で波及していた宗教改革に対する反応である。本発表では、基礎研究を上梓したロルフ・クエドナウをはじめとする研究者たちの言及を確認しながら、特に説話場面の両側に配された教皇像に着目し、考察を行った。

 壁画装飾の構想は、教皇レオ10世(在位1513-1521年)治世下の1519年前半頃からラファエッロによって開始されていたが、作品の実制作は、1520年4月にラファエッロが逝去した後、ジュリオ・ロマーノとジャンフランチェスコ・ペンニを中心として行われた。東壁には《コンスタンティヌス帝へ顕現する十字架の幻視》、南壁には《コンスタンティヌス帝とマクセンティウス帝のミルウィウス橋での戦闘》が描かれ、西壁に《コンスタンティヌス帝の洗礼》、北壁に《教皇シルウェステルへのコンスタンティヌス帝の寄進》が表されている。各壁面において、説話場面の両側に表されているのが、初期教会の歴代教皇である。聖ペテロから教皇グレゴリウス1世にいたる教皇たちは、いずれも寓意擬人像を傍らにともない、このうち東壁の教皇クレメンス1世には教皇レオ10世の、西壁のレオ1世には、教皇クレメンス7世の肖像が表されている。ここでクレメンス7世は、左右に「無垢」と「真実」の擬人像を従え、標章「無垢の白(Candor Illaesvs)」を体現している。その図像構成には、政治的対立勢力への不屈の姿勢のみならず、自身の出生の正統性、また教皇権の神聖さと不可侵性をも示す意図があったと推測される。

 教皇像の構成に着目すると、各像は見せかけの壁龕内に座す姿で表されており、壁龕の半円ドームには、貝殻を模した浮彫装飾が施され、その頂点からは天蓋が吊り下げられている。このモティーフに関して、クエドナウは祭礼行列用の天蓋と記述し、またローレン・パートリッジは教会の霊的・世俗的権威の象徴と解釈している。これまでの研究で必ずしも強調されていない特徴として、ここに描かれた天蓋の形状は、行列用の天蓋というよりは傘に近いものであることに発表者は注目したい。というのも、傘は「コンスタンティヌスの寄進」が起源とされた教皇が皇帝から譲渡された世俗的権威を象徴的に示すモティーフであり、画家たちが直接参照した可能性もある、中世教皇図像に度々描かれていることを指摘できるからだ。ローマに残る13世紀後半の作例である、サンティ・クアットロ・コロナーティ聖堂サン・シルヴェストロ礼拝堂コンスタンティヌス伝サイクルと、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ聖堂《ロッジャに立つボニファティウス8世》では、いずれも教皇の周囲に傘が表されている。両者は共に、世俗君主に激しく対抗した教皇の治世下に制作された構図であることを考慮するならば、北方諸国との緊張した外交関係の中にあった16世紀の教皇庁が、世俗権と教皇権と対立と折り合いの過程で発展した中世図像を再び引き合いに、地上の権威を改めて示す意向があった可能性も推測できるのではないだろうか。



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