イングランド農民反乱におけるジョン・ボールの「説教」再考


赤江雄一(慶応義塾大学)

 ジョン・ボールは、1381年にイングランド各地で起こった「農民反乱」において、ワット・タイラーらと並び、リチャード2世との二度の接見を果たすにいたったエセックスおよびケントからロンドンへと向かった反乱者たちの中心的人物であり、「アダムが耕しイヴが紡いでいたとき誰が領主だったか」という言葉で有名な説教によって知られている。ボールに注目にするにあたって、本報告は、19世紀末から現代までに至る農民戦争の研究の変遷を追跡することによって研究の全体的な方向性を探り、それを踏まえて、ボールとその説教がどのように描かれているかについての予備的な考察を行った。

 農民反乱は同時代の支配層に大きな衝撃を与え、その結果として数多くの年代記を初めとする記録を残すことになった。関係年代記の古典的な比較分析に始まり、いわゆるマナー文書等の分析から社会経済史的な背景をさぐるもの、そして裁判記録などの法史料の研究、そして言語論的転回を意識した英文学研究者による年代記記述の分析というかたちで、主な検討対象とされる史料の種類が増え、問題意識が移り変わっていく様が明瞭に観察された。ボールに注目する際にとりわけ重要なのは、最後にあげた英文学研究者らによる近年の年代記記述の分析である。過去、歴史学者たちは年代記の記述のなかに「事実」を見いだそうと格闘してきた。それに対して言語論的転回は、その「事実」は年代記の記述のありかたのなかに埋め込まれており、それから「事実」は容易に分離できるものではないという認識をもたらした。しかし、すべては記述の問題であるとして「事実」への可能性を放棄することは望ましくもないし現実的でもない。記述のありかたへの注目と「事実」認識への可能性を両方とも手放すことなく分析をすすめるのが肝要であるとして、それは具体的にはどのように実践できるのか。この問題意識を念頭において、反乱者たちがロンドンに入市する直前に、ボールがテムズ川南のブラックヒースで反乱者たちに対しておこなった前述の有名な説教についての年代記の記述の予備的な考察を本報告の後半では行い、これまで注目されてこなかった年代記の記述の在り方に注目し説教史料と突き合わせつつ検討することで新たな知見が得られる可能性を示した。

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