アキテーヌ写本BnFlat. 1118 を通してみた「ロマネスク」音楽の諸問題 西間木
真(ヨーロッパ中世・ルネサンス研究所招聘研究員)
カロリング時代から12世紀中頃にかけて展開した新作ラテン語宗教詩と音楽は、カロリング・ルネサンス期に確立したローマ式典礼の各聖歌の詩と旋律を土台あるいは「枠」として、そこに注釈や解釈を加える形で創作された。そうした新作聖歌を収めた写本では、通常、新たに作られた要素のみが記され、土台となる聖歌の部分は省略されている。そのため一つの作品全体を理解するには、対応するもとの聖歌を収めた写本を別途参照する必要がある。
ミュージシャンの図像で知られるフランス国立図書館lat.
1118は、5冊の異なる冊子写本
(libellus)
の合本であり、2番目のtonarius以外はミサ典礼聖歌に基づく4種類の新作聖歌集である。第1写本troparium
(f. 1-103) にはtropus、つまり既存の聖歌の各詩行に挿入された装飾的な旋律あるいは詩と旋律が、第3写本
(f.
115-131) にはオッフェルトリウムのversusおよびアレルヤ唱の長いメリスマ旋律に組み込まれた散文詩prosula
(もしくはprosa)
が収められている。第4写本(f.132-143)
にはアレルヤ唱に続く歌詞の無い長いメリスマ旋律
(ロマンス語圏ではsequentia、ゲルマン語圏ではmelodia)
が、第5写本(f.
144-249) にはそのメリスマ旋律の一音に対して一音節の形で付け加えられた散文詩
(ロマンス語圏ではprosa、ゲルマン語圏ではsequentia)
が集められている。第2写本tonarius
(f.
104-114) もカロリング時代に誕生した音楽写本の一種であり、典礼聖歌が旋法、ジャンル、出だしの旋律パターン別に分類されている。 BnF
lat. 1118の作成年代は、第1写本tropariumのlaudes
regiae
(f. 39r) で教皇ヨハンネス15世
(985-996)
とフランス国王ユーグ・カペー
(987-996)
が挙げられていることから、lat.
1118全体が987-996年とされることが多い。しかし美術史家のD.
Gaborit-Chopinは、図像や飾り文字の様式から第1写本を含めたlat.
1118全体を11世紀第2四半世紀あるいは11世紀中頃と推定している。アキテーヌ式ネウマ記譜法の書体からも、11世紀初頭と考えられる。作成地は、近年スペイン起源説を唱える研究者もいるが、第1写本の中で聖Martinus
(f. 94v-98v) や聖Orientius
(Orens) (f. 55r) が守護聖人とよばれていることなどから、一般にトゥールーズからオーシュ
(Auch)
にかけての地域とされる。 BnF
lat.
1118写本は、1730年にリモージュ、サン・マルシャル修道院からパリの王立図書館に移された写本の一冊である。L.
Delisleによると1730年の目録の94番目に当たるが、目録で言及されているアリストテレスの著作は現在の写本にはみられない。Delisleはまた、サン・マルシャル修道院の修道士で1204年にcantorから蔵書係(armarius)になったBernard
Itier (1163-1225)
の書き込みに言及しているが、f.
132r、248v、250r欄外の書き込みはいずれもBernard
Itierの書体として一般に知られているものとは異なる。従ってBernard
Itierが没した1225年までに、lat.
1118がSaint-Martial修道院に所蔵されていたか定かではない。 一方、カナダの音楽学者James
Grierによると、第5写本最後のbifolium
(f.
248-249) にみられる2曲の行列聖歌の歌詞は、年代記作家Adémar
de Chavannes (989-1034) によって書き加えられた
(f.
248r)。このbifoliumは、原写本の最後に書き加えられたラテン語恋愛詩Iam
dulcis amica (f.
247v-248r)
から、11世紀中に第5写本に添付されたと考えられる。従って、f.
248rの歌詞部分がAdémarによるならば、少なくても第5写本prosariumはAdémar
が蔵書を寄贈した1034年までにサン・マルシャル修道院に所蔵されていたことになる。クリュニーやフルリーの修道院規律によると、典礼を統括する必要からcantorが蔵書係
(armarius)
を兼務し、子供の教師も担っていた。Adémarもサン・マルシャル修道院のcantorであった叔父Rogerに教育を受け、新作典礼聖歌を作曲、編纂したが、lat.
1118の第1写本では聖Martialisのためのミサ典礼のイントロイトゥスがStatuitのまま残され、Adémarが改編したProbavitに書き換えられていない
(f.
77r)。第2写本tonariusでも、第1旋法にStatuitがみられる
(f.
102v)。そのため少なくとも第1写本がAdémarの手元にあった可能性は低い。いずれにせよlat.
1118を構成する各写本のレベルで、
作成年、作成地、由来を見直す必要が今後ある。 各地に数多く現存する教会建築とは異なり、カロリング時代以降展開した新作ラテン語聖歌を収めた音楽写本はほとんど残されていない。コルビー、サン・タマン、フルリー、クリュニーといった文化活動の拠点に由来する写本は知られておらず、カロリング時代の文化活動との違い、地理的な広がりや伝播の様子など不明な点が多い。しかし1200年頃以降北フランスを中心に展開する新しいゴシック期のレパートリーに吸収されていく作品もあり、BnF
lat.
1118をはじめとするアキテーヌ写本群に書き残された一連の新作聖歌は、建築様式の用語を借用して「ロマネスク期」の音楽とよべるのではないだろうか。
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