写実と肖似性

―イザベラ・デステの肖像画をめぐってー

                         高橋朋子

 

 

 

 教養に溢れ、すぐれた趣味の持ち主で、芸術の保護者として名高いマントヴァ侯爵夫人イザベラ・デステは、理想的な宮廷夫人としての自身のイメージを作り上げることに執着していた。それは結婚直後に、宮廷画家であったマンテーニャに描かせた自身の肖像画が自分に全く似ていないと文句を言っていることからもわかる。この肖像画は現存しないが、マンテーニャという画家は迫真的な人物描写が特徴であったことを考慮に入れるなら、イザベラがいう「自分に全く似ていない」は文字通り受け取れない。つまり彼女がいう「自分に似ている」というのは「肖似性」の問題とは関係がないと推測される。

 イザベラはジャン・クリストフォロ・ロマーノに委嘱して自身のメダルも制作させた。このメダルは相当に流布していたこと、また彼女自身、自分用に宝石や金で装飾を施したメダルを所有していたことからも相当気に入っていたことが判る。こちらの方は理想化された美しいイザベラ像となっている。

 
 イザベラはさらに満足のいく自画像を求めて、今度は当時もっとも高名であった2人の画家、レオナルド・ダ・ヴィンチとジョヴァンニ・ベリーニを比較検討し、レオナルドに依頼した。レオナルドはマントヴァでイザベラをモデルにした素描を残している。現在ルーブル美術館が所蔵しているこの素描(右図)をよく見ると奇妙なことに気づく。イザベラは左向きに坐している。一方頭部は身体に比べて不自然なほど左に向けられている。つまりイザベラは無理して横顔(プロフィール)を見せているのである。レオナルドの肖像画はすべて斜め横顔(4分の3正面観)であったことを考慮するなら、この無理なプロフィールはレオナルドの本意ではなく、イザベラの強い要望で途中で変更されたと考えた方が納得いく。おそらくイザベラはイタリアの宮廷夫人の肖像画の伝統に従ってプロフィールに変更させたのかもしれないが、もう少し深読みするなら、4分の3正面観は容貌をより詳しく描写できるうえに、レオナルドが描くとモデルの内面や心の動きまでも容貌にえぐりだす、その表現に警戒したとも考えられる。

  結局レオナルドは彼女の肖像画を完成することはなかった。そしてその後イザベラは肖像画を委嘱する際にも、二度と画家の前にモデルとして自身をさらすことはなくなる。晩年になってイザベラは、肖像画家として最高の技を誇るティツィアーノに肖像画を依頼する。この時イザベラは、はるか以前にフランチェスコ・フランチアが描いた自身の肖像画(下図左)をティツィアーノに貸し、ティツィアーノはその絵をもとにイザベラの肖像画を描いた(下図右)。実際ティツィアーノがこの若くて美しいイザベラを描いた時、彼女は既に60歳になっていた。つまりこのイザベラはティツィアーノの想像の産物なのである。しかもこのフランチアが描いたイザベラ自体、画家が直接彼女を見て描いたものではなかった。


  イザベラが生きた時代は女性の肖像画が飛躍的な展開を遂げた時と重なる。彼女は肖像画に「真実」(’verità’)、つまり写実性を求めたことは書簡から察せられる。しかし彼女の肖像画を見ると、彼女の言う「真実」が決して肖似性を意味していたのではなく、「まるで生きているかのよう」といった意味での写実性のことであったことがわかる。そしてこの「真実」はすぐれた画家によって作り出されるイリュージョニスティックな効果のことを意味していたのである。おそらくイザベラ・デステは、この技には「虚像」を「実像」に変えてしまう力が備わっていることを熟知していたのであろう。ティツィアーノが描いたイザベラは生き生きと目を輝かせ、若く美しい女性として描かれている。こうしてイザベラはティツィアーノの技によって「美しい女性」としての自分を確保したのである。





 

 

 

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