「千年紀(ミレニアム)を超えて−レコンキスタの進展と盛期中世のベァトゥス写本」

      久米順子(東京外国語大学)

  


『ベアトゥスによるヨハネの黙示録註解』写本(以下ベアトゥス写本とする)は、挿絵入り写本が断簡を含めて27点現存している。かつては、ベアトゥス写本は紀元1000年頃に世の終末を恐れた人々の間でベストセラーになったがためにこれほど数多く制作されたのだというウンベルト・エーコの説明が広く受け入れられていた。しかしながら、テキスト・挿絵両面においてベアトゥス写本の研究が進むにつれ、そうした見方は変貌を迫られつつある。本報告では、まずこの点を確認した後、盛期中世のイベリア半島における終末思想と切っても切れない関係にあるイスラームとの関係に着目して、ベアトゥス写本の展開を辿った。

 そもそもベアトゥス写本のテキストのなかには、反イスラーム的記述を見出すことは出来ない。ベアトゥスが引用している初期キリスト教時代の教父たちは皆イスラームが存在する以前の時代の人物であったのだから当然ともいえるが、ベアトゥスの黙示録註解にイスラームやその創始者ムハンマドに対する直接的言及は皆無である。

 
しかし9世紀半ばに起こったコルドバ・カリフ国における48人のキリスト教徒殉教事件などを契機として、徐々にムハンマドをアンチ・キリストと同一視する見方がキリスト教圏で形成されていく。この殉教事件がベアトゥス写本《シロス断簡》の挿絵にアレゴリカルなかたちで反映されていると解釈する研究者もいる(図左)。

とはいえ、ベアトゥス写本の挿絵に見出されるイスラーム的要素はアンチ・キリストや悪の概念に留まるものではない。挿絵からは、10世紀の末に最盛期を誇ったアル・アンダルスの経済的繁栄や高度に洗練された文化に対する憧憬の念もが見出される。したがって、宗教的な敵というイスラーム観ばかりを強調し、レコンキスタ(対イスラーム再征服運動)を聖戦とのみ捉えるような見方は適切とはいえない。


もちろんレコンキスタの進展はベアトゥス写本の挿絵にも影響を及ぼした。たとえばベアトゥス写本の巻頭に含まれる「世界地図」は、イスラーム圏の都市への言及がないところから、「現実の世界」ではなく「キリスト教徒にとってあるべき姿の世界」が描かれているといえるが、その一方、レコンキスタによって新たにキリスト教圏に組み入れられた都市が次々に付け加えられる点に現実世界の反映を認めることも出来る(図右下)。


レコンキスタの完了は1492年のアルハンブラ開城を待たねばならないが、挿絵入りの大型ベアトゥス写本は13世紀以降、制作されなくなる。最後に1000年以降のベアトゥス写本の様式的変遷を概観し、ゴシック時代にベアトゥス写本が写されなくなった理由について現時点での報告者なりの推測を加えて、報告を終えた。



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